江戸時代後期の香川は砂糖が特産品であった。薩摩の黒糖に対して讃岐は白糖の日本一

の生産量をほこり讃岐平野にはサトウキビ畑が広がっていたという。円形の建物は四国

2棟しか現存していない。円錐形の屋根の垂木の組み方や、大きな曲がり梁を多用した

小屋組みは大変面白く、曲面の大壁も珍しい。2棟の内1棟は元治2年以降の建築、もう

1棟は明治初期のものとされる。内部には3個の石臼が置かれ、牛が腕木を引き回した。

建物が円形なのは牛の回転に合わせたものと推測されている。大きな開口間口とも四間である。